病院で病気をうつされてしまう

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体内の細菌をやっつけるのにこれ以上有効なものはない、というのが抗生物質です。風邪をこじらせた、気管支炎、扁桃腺がま勝れた、中耳炎だ、と、感染によって起きたあらゆる病気の予防や治療に活躍しているのですが、はたしてこんなに多用していいのでしょうか?

と、思っていたらやっぱりこんな弊害が生じました。抗生物質が効かないほど強靭な菌が病院内で出現してきているのです。

社会問題としてもとりあげられている院内感染です。もともと抗生物質は微生物からつくられます。微生物という生体が、ほかの微生物の発育を妨げるという性質を利用して、病原菌が体内に異常増殖するのを防ぎます。

現在では抗生物質も化学的につくり出せるようになり、そちらの方が多く使われています。ところが、いつでも抗生物質にやっつけられる菌ばかりとは限らないのです。たまに薬が効きにくい菌もいるのです。

これを耐性菌といいひとつの抗生物質に耐性があるなら、別の抗生物質で対抗すればいいと思うだろうが、繰り返しているうちに、これがどんどん力をつけてしまい、しまいにはどんな抗生物質にも負けない、いわば不死身の菌ができ上がってしまうのです。

これは明らかに抗生物質の大量使用が生んだツケ。MRS A(耐性ブドウ球菌) もそのひとつです。最近、このMRSAの院内感染で死に至ったという事件が全国各地の病院で起きています。

MRSA は基本的には空気感染はしない。病院内の患者やその家族、看護婦、医師その他の医療従事者や医療器具を介して感染するものです。健康な人間が菌を手につけていてもなんの心配もな手術後など、抵抗力のない患者がそこから感染すれば手の施しょうがないのです。しかし、すぐさま感染源を遠ざけ、消毒などで感染のルートを遮断すれば、防げないことはない。特に、手術や入院先には、何より清潔で、つねに消毒剤による手洗いを実行しているような病院を選ぶことも大切です。

聴診器から聞こえる腸の訴え

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診察での疑問は本当につきません。たとえば、神妙な面持ちで聴診器の先を当てるお医者さん。これが心臓や肺なら話はわかります。しかし、当てているのはへソのまわり。おなかがゴロゴロ下っているわけでもないのに、いったいなんの音がするのでしょうか?

診察のしかたにはいくつかの手順があります。たとえば腸の場合は、主に触診といって、おなかを押して、しこりやガスの有無を確かめます。では、聴診器で何を聞いているのでしょうか。これが聞こえる、聞こえる。順調な活動をしているときは、聴診器をあてるとグォンたくグォンと、まるで洗濯機が回っているように調子のよい音がするのです。

ガスがたまっているときはグーとかゴロゴロという音です。このような聴診の場合、特にお医者さんが問題にするのは、カランコロンという金属音のような音です。これは、腸の一部が閉塞し、よく運動できないときに聞こえる音です。

腸閉塞についてはこちらです。

腸液が分泌して、消化活動をしようとしても、一部が詰まっているために液だけ空回りしてカラカラ音がするのです。ただちに検査が必要とされ、X線撮影や超音波診断を受けることになるでしょう。

心臓の鼓動を聞いて、生きていることを確かめるというのはわかりますが、ほかの臓器もひそかに音を立てながら働いているのです。

背中をたたいたときの音

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診察を受けているとき、お医者さんに背中をノックされたことがある人は多いはずです。トントン、トントン... ... 。いったい何が、どうわかるというのか、ちょっと素人には想像つきません。

「心配ないですね。ただの風邪です」こうやってお医者さんが背中をたたくのは、実は肺の音を聞こくため。です。

健康な肺はボンボンと軽く澄んだ音がします。鼓音、つまり空気の振動で響く太鼓のような音です。

ところが、なんらかの病気で肺に水がたまっていたりすると濁音といって音も濁ります。お医者さんは濁った音と澄んだ音の境界線までたたいてみて、肺にたまった水、つまり胸水の量を測定しているのです。

今度背中をたたかれたらチェックしてみるといい。下から上へ徐々にノックする位置を移動させていたら「どれどれ、どこまで水がたまってるのか、調べてみよう」というわけです。

また、前を向いて胸の真ん中あたりをたたくのは、心臓の大きさを調べるためです。心臓と肺の境界を計り、心臓が肥大していないか、肺を圧迫していないかを知る手がかりになります。こうした手がかりから、必要に応じてさらに詳しいレントゲン検査などへと進むわけだ。この昔ながらの打診法、医者と患者が触れ合う、まさに安全無害で大切な診察法です。カルテだけ見ていても大事なことはわかりません。

ベロを診る医者、首をさわる医者

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あなたは、お医者さんによって、してくれる診察の順番に微妙な違いがあることに気づいたことはないでしょうか?

いつもかかりつけのお医者さんと違ったりすると、特に不安を覚えがちなところでもあります。

たとえば、まず最初に舌を出してください」というお医者さんがいる。舌の痛みを訴えたわけでもないのに、あれは何を診ているのでしょうか。

実は、舌だけでは何もわからない。よっぽど荒れていたり、色が真っ白でケバ立っていたりすれば話は別ですが、舌だけで病気を特定できるようなケースはまずないといっていいでしょう。と聞くと医者の診察方法って、いい加減だな」と、不安に思うだろうが、そういうわけではありません。

患者に神妙にべロを出させるお医者さんは、診察の最初の段階です。患者の顔色を見るのと同様に、ごく大まかな診察のひとつとして舌を見るのです。

いってみれば「これから診察するよ」というウォーミングアップに近い。この時点で、明らかに異常があれば話が早い、というぐらいのものです。

また、同じように、はじめに首を両手でさわるお医者さんもいます。こういうお医者さんはカン良く、さらに一歩ふみ込んだ診察から始めてくれている、ともいえるかもしれません。

たとえば、顔色や問診の段階ですでに「風邪だな」と見当がつくと、首の両脇のリンパ腺の腫れ具合を見ます。

診察には視診、問診、触診、聴診、打診とだいたいの順番があるのですが、その手順はお医者さんによって少しずつ違います。

しかし、いずれにせよ、そうしたいくつかの診察方法を重ね合わせて、少しずつ病名をしぼり込んでいくのです。

というわけで、結論をいえば、カンのよしあしはあるかもしれないが、そのお医者さんなりに診察の流儀、クセによるところが大きいということです。そんなことよりも、最終的に的確な診断、処置をしてくれたかで今後のおつき合いを考えるべきでしょう。

内科と外科の分かれ道

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胃が痛い」というとき、あなたはいったい病院の何科に行くだろうか。「やっぱり内科だろうなあ」もし外科に行けば「ちょっと見てみましょうか」と、切らなくてもいいおなかを即手術、なんてことにならないだろうか?

事実、同じ病気の患者が内科に行くのと外科に行くのとではまったく治療法が違うというケースもあります。

肝ガンの場合などです。たとえば、内科で今主流になっているのが「エタノール注入療法」というもの。これはガンの部分にアルコールを注入して固める治療法です。また、肝臓の動脈に抗ガン剤を注入し、さらそくせんにガンのできた動脈をふさいでしまう、肝動脈塞栓療法も消化器内科で行い、かなりの効果を上げています。

同様に、外科の場合も、ほんの10年前までは手術での肝臓の摘出は非常に難しいとされていたが、現在はそれも可能になりました。

しかし、こうした場合も患者が外科に行ったら手術、内科なら内科治療だけ、ということにはならないのです。

お医者さんは十分な検査をした上で、その患者さんに最も適した治療方法を選択する義務があります。だから最初に扉をたたいた所が内科だろうが、外科だろうが、患者の症状によって「外科へ」「内科へ」と引き継がれることは当然あります。外科と内科は、ときに競い合う形で治療法を開発してきたのは確かだが、最近ではより総合的な判断が重視されてきてもいます。

ちなみに、診療科目というのは病院の自由意思で掲げてもいいことになっています。もちろん、世相にこびて「肥満解消料」「女性専科」などと勝手な科目をつくるわけにはいかないのですが、厚生省で決められた規定の中でなら、お医者さんは自分の看板を自由に掲げられます。

昨日まで小児科医をしていたのに、今日から突然産婦人科医に、なんてこともできるわけです。要するに、国家試験に合格した医師は病気全般について、ひととおりの知識は身につけているということになっているのです。だから患者の方も診療科目にこだわらず、気楽に病院を訪れればいい。

これはよくある例だが、内科に行って「頭が痛い」といったって、診断や治療法によって必要に応じ、たとえば脳神経外科といった専門医を紹介してくれるはずです。

カルテの右を書き忘れるの意味

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カルテの右を書き忘れるな」ある研修医によれば、そう教授に教えられたそうです。では、カルテの右側には、いったいどんな秘密が隠されているのだろうでしょうか。

もしかして患者にもいえない病名もしくは治療方法とか?ふつうカルテの右側には検査や手術方法を書き、左側には症状や原因などを書き込みます。右は医者にしてみれば保険点数の請求に直接関係する事項、左はいわば資料や研究用。

つまり、左は書き忘れても、即、お金につながる右だけはしっかり書いておくように、という先輩たちの温かい(?)指導なのです。ただし、これは一例であって、実はカルテの書き方はマニュアルがあるわけではないので、病院によってさまざまです。

また、患者によっては検査の数が多すぎて、血液、尿、X線、超音波といった具合に左側から書き連ね、すき間にチョコッと病名を書く、なんていう場合もあります。

ちなみにカルテのどこかに大きく「禁」、あるいは「適」と書かれていたら、これは医学用語でいう「適応」と「禁忌」のこと。こちらは字のもつイメージから、意味深な感じがします。

実はそのとおり。たとえば、患者の治療に合う薬名には適マークをカルテにつけ、今後も積極的に投与していい、とする。逆に「禁」マークは、アレルギーがあって絶対に投与してはならない薬名や、効果の上がらない検査、しない方がいい手術などにつけられる。だれが見てもまちがいのないように赤マジックや傍線で印をつけてあります。

医療には多かれ少なかれリスクがともなうもの。ひとつの治療行為を、その患者にやってもいいか、それともやらない方がいいのかの判断を医者はつねに迫られます。

われわれは、たかがカルテと思いがちだが、ときとしてその1枚の紙切れの中に、患者のすべてが記されているともいえるのです。

自分のカルテを何が書かれているか見てみたい!

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診察の合間にお医者さんが何やらカルテに書き込んでいる。いったい何を書いてるんだろう、と気になったことはありませんか。

患者には「心配ない」とひとことですませておきながら、そのわりには書くことがやたら多いじゃないか。ああ、あのカルテが見たい。おれのこと、なんて書いたんだ? ひょっとしたら本人にはいえないような悪い病気とか... 。

そんなに気になるなら試しにこういってみよう。「先生、カルテを見せてください」日本ではカルテを見せたがらない病院が多数派です。

そのため患者の方もカルテは見てはいけないものと思いがちですが、自分のカルテを患者本人が見るのはまったく自由です。

カルテの守秘義務は他人に対するもので、本人は対象にはなりません。病院によっては、患者自身がカルテを持って病院内を回るところもありますが、そんなときこそ自分のカルテを見るチャンスであもあります。

もちろんこっそり書き写したり、コピーをすれば角が立つかもしれませんが、もっと患者は自分の病気を知る権利を行使してもいいはずです。その方が「医者がウソをついているのではないか」と思い悩むよりずっと体( 心)にいいはずです。

ある日突然、お医者さんから「あなたはガンです」と突然告知されて、あなたは冷静でいられるでしょうか?

インフォームド・コンセントという言葉が近ごろやたらと取りざたされるようになりました。これは、「説明と合意(同意)」と、よく日本語に訳されますが、これは訴訟国アメリカから移入されたものです。

つまり病気の治療について医者と患者がつねに情報を交換しながら、協力体制で医療を行うという考え方です。患者は病気の診断から治療の方法まで医者から正確な説明を受け、それに同意した上で適切な処置を受けるというものです。

この考え、たしかにアメリカではすっかり定着しています。たとえ末期ガンであろうと医者は患者にそれを告知し、治療方法を可能な限り並べて、患者に選択させるのです。

アメリカでい・てない」といわれるケースが非常に多いのです。もちろん、そんなトラブルのないように、説明の際には看護婦や助手が立ち会い、内容を克明に記録しておく。これこそアメリカ式インフォームド・コンセントです。

あなたがもし、こんな場面に遭遇したら、くれぐれもお医者さんのいったことを右から左へ聞き流すことのないように。わからないことがあったら必ず質問しましょう。

手術や治療を受けるのはあなたの体なのだから。あなたが自分の治療方法を知らなくてはいけません。それに、少なくとも告知されるということは、日本の場合、あなたのガンは治る可能性があるということなのだから、希望を失ってはいけません。

かなり危ない...はどこで判断する

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入院治療している患者さんがいよいよ危なそうだ、というときというのはわかるものだといいます。

たとえば尿の出が悪くなる、血圧が徐々に下がってくる、など命の灯火が少しずつ光を失っていくわけです。

何が決定的なものかは、一概にはいえないそうですが、そうした諸々の動きから、ある瞬間、「ああ、これはもう引き返せない一線を越えてしまったなと悟ってしまうのだと言います。

こうした場合、当直の交代の際の医者同士の申し送りでは単純に「ダメそう」「キそう」ぁるいは「リーチです」と報告し、患者の家族には「会わせたい人がいたらご連絡を」といいます。

ところが、この先がとても長い人がいる。意識も薄れ、心拍も遅くなってはいるが、確実に鼓動を打っているのです。

また、すわ心臓が停止、となっても電気ショックや薬剤などで、再び動き出す。心臓停止の前には心室細動といって、必ず心臓がけいれんを起こす瞬間があります。

心電図が目まぐるしく動くときだ。そそせいのときに蘇生術を施せば、生命を取り止める場合がある。ただし「もうダメそう」と見えた患者なら、たいていそれも一時的なもので、命の果てるときは遠からず訪れるという。そうして亡くなったときなどは、「人と命」というものや、長い時間を死と闘ったその患者さんへの、なんともいいようのない思いが「生命力の強い人だった」という言葉になるのだといいます。

心房細動とは

脈拍が速くなったり遅くなつたり、でたらめになるのは、心房細動です。心房での電気興奮が洞結節ではなく心房筋のあちこちで起こるため、心房が細かく震えるような状態になります。
その結果、心房は補助ポンプとしての働きがうまくいかないため、心臓全体のポンプ力も低下します。からだを動かすと心拍数が増加しやすく、動悸や息切れが起こりやすくなります。安静にしていても心拍数が速くなることがあり、高齢者では、長時間続くと心不全になることもあります。

心拍出量が低下し、心房壁が規則正しく収縮しないため、血液がうっ滞して血栓を作りやすくします。この血栓が全身に流れて脳そくの血管に詰まると、心原性脳塞栓を起こし、命に関わるにとなることもめずらしくありません。

胃潰瘍の診断の裏

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かつては胃ガンの人に「胃潰瘍です」というとたいていの人は信じたものです。しかし、ほとんどの胃潰瘍が内科で治療できることが知られてきた現在では、「胃潰瘍ですから手術しましょう」というと即座に「ガンじやないか」と疑う人が多くなりました。

ところが現在でも、お医者さんは患者さんに、胃ガンを「胃潰瘍です」ということがあるのも事実です。

「胃潰瘍です」の言葉のウラには、たしかに「ガン」の2文字があり得るのです。しかも、最近は早期ガンなら告知するのがふつうだから、「はっきりガンといえないくらい進んでるガン」ということもあるわけです。

しかし、決めつけるのはまだ早い。胃潰瘍でも胃に穴が開いたり、吐血するほど多量の出血がある場合には手術することもあります。だから、お医者さんが「胃の潰瘍が進んでだいぶ出血していますから、手術した方がいいでしょう」という場合の「胃潰瘍」は、まったく言葉どおりに解釈していいときもあります。

やっかいなことに、このふたとおりの「胃潰瘍です」、表面に出る症状はほとんど同じなだけに、患者には判断が難しいのです。

最近は「胃潰瘍なら手術しなくてもいいだろう」と詰め寄る患者も多いため、もしガンなら、病名はいわなくとも「大きな穴ですよオ、どんどん出血してますよ」と、できるだけ事態を重く表現し、真意をくみ取ってもらう、という場合もあるのです。

誠にあいまいなニッポンの医者と患者の構図です。こういうときは、下手に深読みするよりも、いっそのこと素直にお医者さんに自分の不安をぶつけてみる方が近道です。

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